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「恋愛狂想曲」第二楽章・第六小節
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作詞 野馬知明 |
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「恋愛狂想曲」第二楽章・第六小節
・・・まったく、あのサロンは狭くてやりきれない。
カプリッチョさんの演奏会はいつもこうなんですから。
これだけ物見高い人が集まると、欠伸をするすき間もありゃしない。
リチェルカールさんも、暇にお金を費やしていないで、あのサロンをもう少し広くなさればいいのに。
あの人は、私の誕生日にダイヤモンドのブローチを贈ってくださったけれども、
サロンを広くしてくださった方が、どれほど気が利いているか知れやしない。
ジェンティーレ公爵様、そうお思いになりません?
・・・たしかに、バスコリ未亡人のおっしゃる通りです。
・・・あら、まあ、野菜サラダの様に素っ気のないご返事だこと。
そうじゃありませんこと。ジョセフさん。
・・・ジェンティーレ公爵は少々お疲れになっているんですよ。
何しろ、朝を刻む鶏ですら死んだようになって夢の国を吟遊している夜明け前の三時に、
コモの先のルガノ湖の近くまで狩猟にお出かけになったんですから。
それに、この演奏会にいらっしゃるまで、
ポルディペツォリ博物館で生物学のお勉強をなさっていたんですよ。
・・・あら、そうですの。昼間だけは、随分と精力家であられますこと。ジェンティーレ公爵様。
・・・いえ、いえ。バスコリ未亡人、要するに有閑人なんですよ、私は。
わたしにとって、じっとしていることほど、恐ろしいことはないのです。
私の内面にそれだけのものがないからでしょうね、きっと。
・・・まあ、随分とご謙遜のお上手なこと。
わたしのような女は、公爵様の様に謙虚で分別があって、温厚な、知性豊かな方に思われたら、
ピサの斜塔のようにすぐ傾いてしまうんですけど。
ついでに、ガリレオ・ガリレイの落し物のように、
斜塔の上から転落してしまうかも。
でも意外ですわ、ウエヌス・リチェルカールさんが、ジェンティール公爵様より、
ジョセフさんの方に気があるなんて。
やはり若い娘は若い殿方に惹かれるらしいですね。
・・・ハムレットにとってオフィーリアが引力の強い金属であったように、
若い男が若い娘に惹かれることはありますが、その逆は余りないのですよ、近頃は。
公爵様のように信仰の厚い、思慮深い方のほうが、包容力があって、頼りがいがあるというので、
僕なんか鼻もかけてもらえないんですよ。
・・・随分と僻みっぽいんですね、ジョセフさん。
恋敵の前で、そんな弱みを見せていいんですの?
・・・またぞろ、僕たちを恋敵になさるんですか?
・・・だって、そうなんでしょう?
リチェルカールさんは、カプリッチョさんの乱交ぶりに愛想をつかして、
自分の娘が、ハリエット・ウェストブルックのようにならないようにと、
公爵様と何とか縁を結ぼうとしていらっしゃるし、
公爵様自身、若い花嫁のことを、まんざらでもないとお思いなんでしょ?
・・・ちょっと待ってください。そのハリエット・ウェストブルックとは誰ですか。
・・・あら、御存じないのですか?岸辺に生えているあしのようにか弱く、
アフロディティのような美貌に恵まれたパーシ・ビッシュ・シェリという反逆児の薄幸の若妻ですよ。
シェリにかどわかされて十六歳で結婚したものの、三年後にシェリは、
あのトーマス・ロバート・マルサスと論争した忌まわしい無政府主義者のウィリアム・ゴドウィンと
メアリ−・ウルストンクラーフトとの間の愛娘メアリを誘惑して、
その悲しみからハリエットは自殺したんですよ。
・・・ああ、その話なら知っていますよ。
ハリエットは確か、妹の学友で、ロンドンで知りあったのですよ。
二人は相共にスコットランドのエディンバラに出奔して結婚し、ケジックで家庭を持った。
ところが、移り気なシェリは、当代の名士ゴドウィンの娘メアリと愛し合って、スウィスに移り、
翌年男の子を産んだため、ハリエットは悶々の末、ついに投身自殺したんですよ。
そこでシェリは、メアリと正式に結婚し、ゴドウィンと仲直りしたわけです。
・・・まあ、シェリがどんな男であったにせよ、リチェルカール嬢は、誰のものでもありません。
彼女は、花から花へと、微風に乗って舞飛ぶ蝶のように自由であるべきです。
結婚相手を選ぶとしたら、あの人自身でするのが本当ですよ。
・・・ところが、ウエヌスさんは、カプリッチョさんに首っ丈なんですよ。
それなのにカプリッチョさんは、チャイルド・ハロルドの遍歴を書いて一躍社交界の寵児となり、
やがてアナベラ・ミルバンクと結婚し、一年もたたないうちに、
アナベラ・ミルバンクの異母姉のオーガスタに触手を伸ばして、離婚し、イギリスを追放され、
レマン湖のほとりでシェリの義理の妹を情婦にして女の子を産ませ、
ヴェネツィアで伯爵夫人のテレザ・グイッチョーリの公然の情夫となったバイロンのように、
いま、放埓の限りを尽くしていらっしゃる。
このままでは、ウエヌスさんは、本当に自害してしまうかもしれないことですよ。
いったい、ジェンティーレ公爵のように人生を三分の一世紀もやっていらっしゃると、
あの狂的な情緒としか言いようのない恋愛というものに対して、かくも寛大に、
かくも冷静になれるものでしょうかしら。
本来、殿方という者は、総じて自分勝手で、わがままで、まるで子供と同じ者。
おまけに宙にぽかんと浮いている綿雲のようにつかみどころがなくて、大変な浮気者。
・・・とんでもない。浮気者なのはご婦人方ですよ。ジョルジュ・サンドを見てごらんなさい。
二十六歳で離婚して、ジュール・サンドを愛人とし、
ヴェネツィアではミュッセとマヨルカ島では、ショパンと恋を語っているのですよ。
ご婦人方は、ちょっと端正な顔立ちの若い官吏がやって来ると、すぐそわそわと落ち着かなくなる。
そう、丁度、狼が闖入した時の雌鶏よろしく。
・・・お品のないいやな表現ですこと。若い人は、話が露骨でいけません。
もっと話にマラルメの詩のようなメタファーを、
アルチュール・ランボーのように深い味わいを持たせるべきですよ。そうじゃありません、公爵様。
・・・あ、次の演奏が始まりますよ。サロンの方へ行きましょう。
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