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尾崎豊卒業論
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作詞 悠生 |
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尾崎豊が卒業を書いたのは18歳の時だ。
ちょうどそのころ彼は出席日数の不足のため留年が決まり、いよいよ人生の岐路に立たされたときであろう。
結局自主退学という道に進むのだが、それ以上は言う必要も無いだろうからあえて記述するようなことはしない。
私は平成9年生まれであるから当時のことはあまり知らない。ネットで検索した程度の知識しか持ち合わせていないことを先にお断りさせて頂きたい。
彼が思春期のとき、日本社会は資本主義を基として活発に活動していて、大人達も意欲に満ちあふれていたと聞いている。少なくとも現代のような閉塞感あふれる社会ではなかったようだ。そして大人達は胸を張って社会の掟なるものについて若年者達に教鞭をたれる。考えてみれば全うなことで、当時の社会はうまく機能していたのであるから、そこで通用していた掟も正しいと大人達は考えるだろう。概して若者とは(私もそうなのであるが)そういった大人、社会、常識という名の既成概念に疑問を感じ反発するものであるから、当時尾崎はそういった社会のあり方に反発したことだろう。ここまで言うと大方の人間は、なるほどわかった、彼は反社会の左翼なのか、と勝手に納得しようとするだろうがそれは違うのである。彼がただの反社会の破壊論者であるならばここまでの支持は得られるはずがなかったのである。ただ単に「夜の校舎窓ガラス壊して回った」なんて言ってるだけじゃ当然「あっそ」となってしまう。彼の偉業の一つは社会の再定義にあると私は思う。社会がなんなのか、これは正確に言い表せないだろう(言い表せたとしてもその信憑性は極めてあやしい)資本主義は自由で社会主義は束縛だ、と公民の教科書には書いてあるがこれははたしてそうなのか、というとこれにもまた疑問符がつくのである。今の学生の大半は思考力など無くただ単に席に着いてペンを握っているが、今我々が生活している社会を根本的に見直そうとした彼の危惧した時代がやってきてしまったのかもしれない。
眠いんで落ちます
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