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病気を抱えた哀れな病弱な小鳥のジレンマ
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作詞 まどか |
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僕は実は半年前から病気にかかってしまった。
僕は自分の病気を自覚し始めた時から自分の寿命とか
命とか尊厳とかそういう物を自覚し始めるようになった。
よく子供が産まれたら、どうとうかTVで言っていた
けど、普通に産まれる時は産まれるだろうとか
そういう尊厳とかそういう物を学習して来なかった。
美意識とか、可愛い子供とか、産まれる時は
ちゃんと望まれて産まれてくるだろうな、位にしか
自覚そのものがあまり無かった。
人は当然そういう物を自覚しているだろう、位の気持ちしか
分からなかった。
だけど、いざ自分が関係する番になると
他人事では無くなった。
他人の手記も散々読んだし、尚且つ、自分自身、事件、事故に関わった
人間の一人だ。
世の中を恨んでいる自分がただただ嫌い。
だけど、自分が病気になってからという物、自分の周囲の世界という物の
ちっぽけさを思い知ってとても歯がゆい思いをした。
それでも成長はして行った。
実は今も病弱で、どうかするとひょんな事から
点滴を打ってばかりの施設に送られそうな勢いで怖くもあるが。
それなりに自分が思った事を淡々と一人でこなすという、今までの生活は別に
そういう事は嫌いでは無かった。
やがて哲学を持つようになった。
それ程成長した。
他人を助けたい、そんな気持ち(徳を積んで、増やしたいとか
そういう気持ち)も少ないが芽生え始めた。
だけどどうしても分かり合えない相手も居た。
人間、必ず最後はどこかに魂帰り着くもの。_
だから、ジタバタしたって仕方が無い。
仕方が無いのだ。
有るべき場所に帰るだけなのだ。
だた、それだけで良い。
知り合いはいるが、その知り合いというのも
問題点を何かしら抱えた可哀相な家族の中の一人だ。
事故にあったらしい。
この事から分かるように、
世の中、綺麗事だけで成り立っている訳では無い。
子供は言い分が曖昧であまりにも可哀相だ。
でも出来る事、きっと少し位はあるはず
人間同士、補完し合っているのだ。
きっと、足りない部分補い合って世の中は成り立っているはずだ。
だから極端に他人を罵倒したり、
否定しても物事は始まらない。
徳を積まなければ、幸せになれはしない。
来世でもきっと、幸せな家庭にも産まれない。
自分にそう言い聞かせている。
きっとそうだと思う。
これは願い。
箸の持ち方、注意されたり
時々、怒られたりもするけど
それはそれで嬉しかった。
きつく注意されたけど、愛情で注意しているつもりなら
伝わった。が、逆もあった。
それはさあ。生き物だから。仕方無いよね。
子供の頃から、成長期にかけて僕の思春期の様子は劇的に変化した。
水晶玉を見つめ続けながら思う_
どうかこのまま時よ止まって下さい。
自分が幸せな時は、少なくともそう思えてた。
なんてね…
生命に対して、愛おしいとか
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